願いの震え――小澤一也の「オブジェクト」について     森啓輔(千葉市美術館学芸員)

 どこか生命的で、温かみを持ち、そして、どこまでも遠い対象(object)。

 木工作家である小澤一也が富士宮で、その後は藤枝に構えた自身の工房で、本業である家具の制作の傍ら、2016年から今日まで生み出してきた数々の「オブジェクト」と名付けられたそれらから受けた印象は、上述のようなものだ。そして、筆者の先入観も少なからず影響したのであろう。美術と工芸、あるいは芸術作品と家具(あるいは道具)の境界において、その「オブジェクト」はいつでも揺れ続けている。

 美術と工芸の境界の在処は、いうまでもなく、これまで知の探究者らが関心を寄せてきた哲学的命題であった。美学者であり、考古学者であったジョージ・クブラーは、ルネサンスの時代の芸術家を挙げ、用と美の共通性を認めながら、むしろ差異について触れている。クブラーにとって芸術作品とは、「技術的、合理的な基盤が目立たないとき」にのみ現れるのであり、「技術的組成や合理的秩序ばかりが目につくとき」実用の対象、つまり道具として姿を現すものとされた(註1)。

 このクブラーの理解に留まらず、ことさら興味を引くのは、美術と工芸の境界に関わる言説の積み重ねにおいてその多くが、「物(object)」――当然のことながら、そこには哲学者イマヌエル・カントによる「物自体(Ding an sich)」への影響があるのだが――を通じて思索されている点だ。小澤の「オブジェクト」の有機的なフォルムが、生命感を確かに宿しながら、膨らみを持った把手付きの袋(《U/Object_Post》2017年)や、持ち運び可能なメディアプレーヤー(《Disk1》2022年)を想起させることは、境界に対してではなく、それを架橋する両義性への接続の証左であるといえる。

 静岡文化芸術大学に在学中、都市から家具まで幅広く空間を造形することを学ぶ環境にあって、小澤がジョージ・ナカシマの家具に出会ったことは、以後の人生において大きな指針となったことだろう。これまで一つ一つの制作に多くの時間を費やし、誠実に向き合ってきた家具という対象から零れ落ちた、もう一つの「生」。おそらく、それこそが小澤にとっての「オブジェクト」なのだ。美術と工芸、用と美、そして有と無の間で揺れ動くもの。「オブジェクト」という稀有な存在にとって、そのような性質こそが宿命であるといっても過言ではあるまい。

 筆者が当時、新作として展示された小澤の「Disk」シリーズ(2022–)に遭遇したのは、今から一年ほど前、藤枝の市内を流れる川沿いの景色を、早咲きの河津桜が鮮やかに染めていた時分であった。すでに閉園となり、幼児の喧騒の記憶も時間とともに色褪せていくように感じさせる旧幼稚園の一室に並べられた複数点の「Disk」は、緑や黄、青に側面が彩色され、上部が透明のアクリル板で設らえられた台座の上に置かれていた。その会場に控えめに掲出されていたステイトメントには、小澤が自身の制作する「物」を「連なるお地蔵さんのよう」であり、「通過的な拠り所」となることを、あたかも願うがごとく書き記されていたことを覚えている(註2)。記憶を内蔵する人の頭部を思わせ、かつそれを外部に再生、伝搬する道具を思わせる「Disk」は、まるで旧幼稚園を止まり木とし、ひと時、休息している小鳥の群れのようであった。このことはつまり、「通過」という言葉に作家が託した「オブジェクト」が、「移動すること」において存在が与えられていた事実を示している。

 哲学者のマルティン・ハイデッガーもまた、芸術作品における「真理」への深い洞察を通じ、「物」を介して芸術作品と道具の境界を思惟した人物である。ハイデッガーは、道具に物と芸術作品との「特有な中間位置」を与えた(註3)。道具の根源にある「道具存在」を、ヴァン・ゴッホが描いた農夫靴の絵画分析を通じ詳らかにしていくハイデッガーは、芸術作品の経験を「作品の近くで、われわれは突如、ふだんたいてい居るところとは別のところに居たのである」と述べていた(註4)。小澤の「オブジェクト」は動き続け、複数の「中間位置」にあろうとする意志を示すものである。そして、かつてあった聖性を喪失し、個々の生が苛なまれる現代社会において、私たちを束の間であれ、ハイデッガーが示したごとく他の世界へと連れて行こうとする芸術の可能性を、異質な対象/ものとしての「オブジェクト」は追い求めている。その生を震わせる対峙の経験は人々にとって、さらには作者である小澤本人にとってすらも「救い」となることが、ただただ静かにかつ寡黙に願われている。

1. ジョージ・クブラー『時のかたち 事物の歴史をめぐって』中谷礼仁・田中伸幸訳、鹿島出版会、2021年、pp.42–43

2. 小澤一也「第3物(Artist Statement)」https://kazuyaozawa.net/texts/565(2024年3月1日閲覧)

3. マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』関口浩訳、平凡社ライブラリー、2008年、p.33

4. 同前、p.46

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