全体と部分1

ぼくは建築、家具を通して、全体と部分について考えてきたとも言える
意識的ではないけど、この転機において振り返るとそういう側面があると思った。

都市の中に建築があり、建築の中に家具がある。
それはその物理的な大きさと比例するように、とてもわかりやすく理解された。
入学した大学は空間造形学科という名で、まさに家具から都市までを範囲としていて、
ぼくはその中で家具を選んだ。

造形思考が強い自分は、家具をとりまく建築やデザインとの間で、ひどく悩まされた。

当時2000年初頭、ミラノサローネに象徴される、
ファッショナブルな家具の世界に不満を覚えていた。
家具は日常において愛おしく使われるものでありたい。
用が大事なんだ。そうでなければ、どんな形を造ろうと上物になってしまう。

そしてそこには豊かな日常がある。
いい飯碗でご飯を食べて、好きなテーブルで、気に入った椅子に座って
そんな中に優れた家具があり、それらを包むのは建築だ。
建築や生活という全体性の中で、家具が役割を果たすことで美しさが見出される。と思った。

家具の造形をしたい
けど家具を考える以上これらを絶対に見落とすことはできなかった。
機能を疎かにしては、いい家具はありえない
機能と造形を真面目に考えれば考えるほど、その壁を痛烈に感じた。
用の美は完璧で、ぼくにとって更に混迷を深めた。  
生まれた家具達はそこと闘ってきた痕跡といえる。

今思えば、大学教授にジョージナカシマを教えていただき、
大学図書館にあった、北欧家具やシェーカー家具に目を止めたのは、必然だったと思う。

次第に造形と機能は一体化していった
自分の描く線は機能を内蔵した線となっていく

自分らしい家具の形をつくりたい
行き着いたのは、全体の中で部分が役割を果たすと同時に、
その個性が、全体を惹き立てる特別な部分でありたい。ということだった。

これは、どんなに異質なものであっても、全体に対して役割を持ち得れば、可能であるということだ。
宇宙に到達するほどのロケットエンジンが、ものすごい燃焼温度に達する爆発力をもつ事と同時に、
それに耐えうる冷却装置を備えた容器があって、初めて実用ロケットとして成立するように。

異質なものを取り入れることで、全体を活性化し豊かにする。
そのことが全体性の中に含まれている。
しかしこれは結局、全体の中で部分が役割化することを意味していた。
この部分の在り方に、ぼくは息苦しさを感じはじめた。

全体と部分は、ある機能を媒介して一体化する
明らかになったのは、機能物はどこまでいっても、機能が媒介的な主体なのである。
そして、ぼく自身の大きな問題の主体は、機能にあることだ。


小澤一也



2018年1月
ブログ”Kazuya Ozawa Diary”にて

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