小澤一也君、初の展覧会にむけて(text in Japanese)     鳥居厚夫(静岡文化芸術大学教授)

小澤君と私の付き合いは10年前、静岡文化芸術大学が創立された時に始まる。つまり彼は、文芸大デザイン学部空間造形学科の栄えある一期生であり、今でこそ、空間造形は建築系の学科であるとはっきり打ち出しているが、当時はまだ大学の方向がはっきり見えていない時期で、従って同級生も個性豊かな人材が揃っていたそんな中の一人であった。ただそういう意味で、彼の言によると、最初はまだ、建築を目指すのか、家具デザインをするのか、はたまたもっと別な道を選択するのかは全く決まってはいなかったそうである。その後、いろいろ学ぶ課程で、リートフェルトやジョージ・ナカシマの家具などに出合う内に、だんだん家具のデザインや制作に興味を持つようになっていったとの事である。私が彼の存在に注目したのは、合板をさらに張り合わせて、木材の断面を層状に見せる構造を持った椅子の制作をした時からである。通常あるいは木を知れば知る程考えないであろう、合板を何十枚も張り合わせた足を持つ椅子は、全てが直角で構成されており、結果として成功したかどうかは別として、今までに無いものに挑戦という意気込みと共に何かに強いこだわりを持つ若い感性を表しており、一学生のデザインとして私たちを十分驚かせたものであった。

卒業後は、家具制作も手がけている建築設計事務所で3年間修行、師事させて頂き、その後独立、現在に至っている。素晴らしい指導者に恵まれた事、また人生の良きパートナーとなるべく、彼の将来に夢を託す事を選んでくれた文芸大の同級生の貴子さんとの結婚など、良き運にも恵まれ、順調に自分を向上させている。
彼の作品の特徴は、ともかく繊細・精緻である、しかし、ひ弱ではない。彼が椅子をデザインするとき、その眼差しはあたかもグラフィックデザイナーのように繊細で、1本の線を引くのにも何度も試して、ちょっとずつ動かしながら決めていく。0.5ミリの違いにも意味を見いだしている。そういうこだわりから一つ一つのディテールが決まり、それに従って全体が構成されていく、そんな方法をとっているのではないかと思う。しかし彼は、何が故にこのようなこだわりを持つのか?その答えは、彼の目指す家具、「生活に溶けていく形と、沈黙に浮かび上がる確かな形」という言葉の中に在るのであろう。これは、生活の場に在って人間を補助するという意味で機能的であり使い易い家具という側面と、ただ置かれている時でも、その住空間を豊かなものに変身させるそんな存在感を示す家具という二つの面を併せ持ったものを目指すということではないかと思う。そういう目で、彼の作品を眺めてみると正にそれを表しているのではないか。機能的ではあるが造形的には奇をてらったところは少しもなく、基本的にはある意味非常にオーソドックスな形で構成されている。こういう中に、いかにも触り心地の良さそうな角Rや曲線でまとめられた肘掛けや背もたれ、脚、あるいはプレナー加工で済ませてしまえばそれでも十分機能するのに敢えて凹面で仕上げたサイドテーブルの天板などがある。もちろん全体の美しさを保ちつつ、一つ一つが丁寧かつ繊細、決してただの直線で済ます事の無いこだわりが随所に見えてくる。これこそが、小澤流のなせる技であり、直線で構成される事の多い現代の住宅にあって、その存在感を十分発揮できる所以ではないか。これを言葉で表すのは簡単である。しかし、実際に制作するとなるとこれには非常に大変な作業を伴う。現代の大量生産の現場では様々なマシンによってかなり複雑な形状も安価に出来る状況にあるが、一品制作の現場ではそうはならない。小澤君の作る家具の曲線やRの造形は、電動工具を基本にその殆どを手作業で行うのである。もちろん短時間では出来ないであろうし、安い値段でも出来ないであろう。それでも敢えてこの難しい、困難な作業に挑戦し続けているのは、使い易いけれども一人佇む時はしっかりとした存在感を示す家具を作る為に、である。取りあえず収納の為のカラーボックスをどの家でも購入していた時代はとうに過ぎ去り、今は感性が非常に大事にされている。このような時代だからこそ、こういう繊細な感性を持ったものの本当の必要性が生まれてくるのではないだろうか。教え子の一人に、彼のような「空間を建築的に把握しつつ、真摯に家具のデザイン・制作に取り組む人材」を輩出できた事を誇りに思うと共に、彼が今後も今まで通り自分の考えを大事にしつつ、それが一つのスタイルとして確立され、結果、活躍の場が大きく広がっていくことを望んでいる。


静岡文化芸術大学 デザイン学部 空間造形学科
学科長  鳥居厚夫

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